メビウスの輪
 星 期一


1.落下事故

 十一月一日の未明、マンションの階段をゆっくりと上っていく二人の人影。しばらくすると、そのうちの一人が階段を下りてくる。一人の人影がマンションから出てくる。ほとんど同時に、ドスンという鈍い音。マンションから遠くへと走り去る足音。そして、静けさが戻る。
 ピンポン。ドアのベルが鳴る。誰だ、一体。今、何時だよ。寝ぼけまなこのまま、玄関へ向かう。
「はい。」
「警察です。」
え、警察?何か悪いことしたか?何の事件だ?訝しがりながら扉を開けると、二人の警官がいた。
「お休みのところ申し訳ありません。」
警官は、ドラマのように警察手帳を差し出した。
「近くで事故がありまして。事故にあった方の身元が分からなくて、調べているところです。」
警官は、特徴を話し始める。身長百六十センチ位、痩せ形、スポーツ刈り、青いジャージを着ている。
「こういう方をご存じありませんか。」
「あ、うちの弟がそんな感じですけど。」
「今、そちらにいらっしゃいますか。」
「はい、いると思いますけど。」
「確認していただけますか。」
山沢は弟の部屋のドアを開ける。しかし、そこに弟の姿はない。
「いませんでした。」
「そうですか。ちょっと来て下さい。」
警官は山沢を階段の踊り場に連れていく。外を見ると、マンションの下に人が倒れている。
「あの方をご存じありませんか。」
ご存じも何も、弟の正司じゃないか。
「うちの弟です。」
何だ、正司が倒れてるぞ。
「ちょっと待って下さい。」
急いで家に戻り、寝ている母親を叩き起こす。
「正司が、正司が大変だよ。」
山沢は母親を踊り場まで連れていく。驚く母親。
「それでは、確認していただけますか。」
母親に確認させるのは酷だからか、警官は山沢を連れていった。
「間違いありませんか。」
「そうです、弟です。」
 機動捜査隊が来て、現場検証が進められている。最上階の踊り場の手摺りに、正司の指紋があったらしい。争った様子もなく、自殺ではないか。
「それでは、仏さんは検死しますので。」
死体は連れていかれた。型通りの事情聴取。
「では、後で警察に来て下さい。」
警官は署へ戻って行く。
 人が死んだら、何をしなきゃいけないんだ。あ、オヤジに連絡してないぞ。夜勤の父親、そして近くに住む親戚に連絡。誰に電話。その前に警察か。山沢は母親を車に乗せると警察へ向かった。
 警察での検死が終わり、車を止めた場所へ戻ると、名刺を差し出してくる男がいる。
「川口葬儀社です。お世話になります。」
この葬儀社の車で警察まで死体を運んだとのこと。
「車代はサービスしときますから。」
「はあ、よろしくお願いします。」
 家に戻ると、弟の携帯が鳴っている。
「もしもし。」
「あれ、山沢さんですよね。」
「ああ、はい、正司の兄です。」
「正司さんは?」
弟はその日、鳥取大学の学園祭で行われるミホのコンサートに行くことになっていた。
「あれ、ひょっとして野馬君?」
「はい。」
「正司は、コンサート行けなくなったから。」
「そうですか。」
「また、詳しいことは連絡しますから。」
 よく分からないまま、その川口葬儀社に決めてしまった。お寺さんはどうなんだ。大体、うちの宗教って、仏教だろうけど、宗派は何だ。お寺ならどこでもいいか。親戚に電話して訊いてみると、日蓮宗だという。早速、葬儀屋に連絡。しばらくすると、お寺さんが見つかったと行って、葬儀社の人間がやってきた。
 通夜、葬儀の日程、場所、どのような式にするかを決め、親戚やら、会社やらに連絡。正司の友人にも連絡する。ミホ関係の友人の野馬、高校時代の友人の原田。大学や会社の友人にどんな奴がいたのか分からないので、そこは連絡しなかった。
 伊丹十三のお葬式、ちゃんと見とけば良かったな。ぶっつけ本番か。父親がぶつくさ言う。
 しばらくすると、山沢の携帯が鳴る。
「はい、山沢です。」
「草加です。お前、弟が死んだんだって。」
「おう。」
「それはご愁傷様。」
「どうも。」
「ところで、お前んとこ、日蓮真宗だっけ。」
「違うよ、日蓮宗だとか言ってたけど。」
「それは謗法だから、葬式は出ちゃダメだぞ。」
「何言ってんだよ。」
「もし出ても、変なお経なんか上げるなよ。心の中でずっと『南無妙法蓮華経』を唱えとけよ。」
それだけ言うと、電話は切れた。
 お通夜、葬式と滞りなく済む。正司の死因については全く分からない。脳挫傷で死んだということは死亡診断書で分かるが、なぜ死んだのか。S県警は例によって職務怠慢で、事故なのか事件なのかも調査しようとしていない。遺書が見つかれば自殺で一件落着なのにな、なんて言っている。さすがに遺書の偽造まではしなかったようだが。
「納得いかねえな。」
山沢がつぶやく。隣にいた野馬が
「何がですか。」
「だって、携帯のメモリーが消えてるんだよ。」
弟の携帯にかかってきた野馬からの電話は、番号通知されていたのに名前が出ていなかった。不審に思って調べてみると、メモリが一件もされていなかった。前は百件くらい入っていたはずなのに。
「それは変ですねえ。」
「それに、手帳もなくなってるんだ。」
「盗まれたんですか。」
「というか、破られてた。」
   つづく    (C)一九九九 星 期一


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