不思議の国の有田
 江戸仕草


第1回 出会い

コーン。「ストラ〜イク!」
「よっしゃー。」レーンから戻る鷲尾。
「次、頼むぞ。」「おう、任しとき。」
 梅雨も近い五月の第四土曜日。山手市の中心街にあるアイランドというボーリング場には、妙な盛り上がりをする一団がいる。その中に鷲尾牧人の姿があった。
 鷲尾は毎日毎日、夜遅くまで働いていて、ここ何ヶ月間休みもなし。ゴールデンウィークもおあずけ。ようやく、労働組合連合の行事ということで会社から離れることができ、普段の憂さ晴らしだと、ボーリングに興じるのだった。
 鷲尾のレーンには他の会社の若い男女が一人ずつ、鷲尾を入れて3人であった。鷲尾はここのレーンの女の子、可愛いなと思っている。そう思いながらも、少し離れたレーンの方を見て、お、いい娘がいるぞと思う。ルックスはグー。
 やがてボーリングも終わり。スコアは散々である。ボーリング場のあるビルの一階で食事会があった後は流れ解散。鷲尾がが二次会へ行こうかなと思っていると、先程目を付けた、近くのレーンにいた女の子が寄って来る。
「あのう、どこの会社の方ですか。」
「え、俺?NCEだけど。」
「そうなんですか。あのう、お名前は?」
「鷲尾と言います。あなたは。」
「有田です。」
「有田さん。二次会、行く?」
「ええ、行きましょう。」
二人が話していると、
「おう、鷲尾君か。二次会行くぞ。」
以前に会ったことのある、他の会社の中沢さんというおじさんだ。中沢さんに連れられて、みんなは『待ち棒け』という居酒屋へ行く。
「それじゃ、とりあえず乾杯といきますか。」
「乾杯。」
鷲尾と有田は当たり前のように隣り合わせで座
っていた。各人自己紹介をし、名刺やアドレス帳が行き交う。
「何か、メモ用紙ありませんか。」
有田は手帳も持ってきてないようだ。
「あ、これあげるよ。」
鷲尾が用紙を渡す。
「ねえ、これ司法試験でしょ。」
鷲尾が手渡したのは、司法試験の予備校『レッツ』のビラであった。
「司法試験じゃないよ、行政書士。」
「行政書士か。でも、何でそんなの受けるの。」
「前、総務部門で法律関係の仕事だったからね。」
「へえ。私、法律事務所にいたんだ。」
改めて自己紹介。鷲尾牧人、三十一歳、大手電機メーカーのNCE勤務、有田すみれ、二十七歳、無職。いわゆるプー太郎である。以前、法律事務所にいた時のクライアントの会社の友だちに引っ付いて来て、ボーリングに参加している。全くお気楽な極楽トンボである。
「ホントは、来たくなかったんだけど。
そこの社員でもないし、友だちに誘われたのでもない。自分からシャシャリ出てきたのだ。
「え、友だちに無理矢理付いてきたんだろ?」
「うん。でも、来てラッキー。」
「何で?」
「だって、鷲尾さんみたいな人に会えたから。」
その一言で鷲尾は舞い上がってしまった。後は、二人で盛り上がるだけ。法律の話、裁判の話など、普通は酒の席で盛り上がる話題ではないと思うが。その他の奴は二人の世界に割り込めないでいた。
「ちょっと、これ食べてみて。」
「どれどれ?」
「すっかいでしょ。」
「何、すっかいって?」
「酸っぱいってことだけど。」
「そうか。」
「この杏仁豆腐、腐ってるでしょ。」
「腐ってるかなあ。」
「すみませーん!」
二人のことは放っておけや、てな調子だった周りも、有田の大声に何事かと注目する。店員はすぐにやって来た。
「すみません。」
「はい、何でしょう。」
「これ、腐ってるんで、取り替えて下さい。」
杏仁豆腐って、それが普通なんじゃないか。有田の行動に、一同は唖然としていた。
 待ち棒けからカラオケに行っても、鷲尾と有田はくっついていた。
 カラオケも終わり、そろそろ帰る時間だ。
「それじゃ、鷲尾さん、電話して下さいね。」
「うん、分かった。」
電話の約束をする二人。だが、有田は他の男に対しては、電話番号教えますけど、電話しないで下さいね、だぞ。他の男が聞いてたら、ド突いてやるぞ、と思ったろう。
「駅まで送ってこうか?」
ちょうど雨が降り出したところである。
「鷲尾さん、JR?」
「そうだけど。」
「私、地下鉄なんで、方向逆ですから。」
「そっか。」
せっかくの相合い傘のチャンスだったのに。
「何時頃、家に着く?」
「十一時頃かな。鷲尾さんは?」
「十二時頃。」
「じゃ、十二時頃電話して下さいね。」
 土曜日に休んでしまった鷲尾は、日曜に出勤しなければならない。しかし、そんな現実もすっかり忘れている鷲尾であった。
 駅からタクシーを飛ばして家に帰ると、十二時ちょっと前。早速、有田に電話する。
「もしもし。」
「あ、鷲尾さん。うれしい。」
「有田さんって、有田すみれだから、アリス?」
「はい。アリスって呼んで下さい。」
夜通し話していた鷲尾は、結局会社にまともに行くことはできなかった。

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