不思議の国の有田
江戸仕草


第2回 すいとん

 トゥルトゥルトゥル。携帯のベルが鳴る。
「はい…。もしもし…。」
「もしもーし。鷲尾か?」
「はい、鷲尾ですが。」
「お前、会社、どないしたんや。」
電話は会社の同僚からであった。
「どないって…。」
有田との電話を切ったのが三時半だから…。え、昼過ぎだ! 時計は既に一時十五分。
「あ、今から行くわ。」
「もう構へん。ゆっくり来い。」
猛ダッシュで会社へ行くと、同僚のぼやき。
「昼から来るかと思っとったのに。」
「悪りい。」
「今日の晩飯、秀一さんのおごりだよ。」
後輩が騒いでいる。
「お前が遅せえから、カケに負けちまった。」
 土曜日の分もやらなくちゃ。それに会社来たのも昼過ぎだし。今日も遅くなりそうだぞ。
 夜の七時過ぎ、夕飯を食いに行こうとみんなで席を立った頃、鷲尾の携帯がブルッときた。
「もしもし。」
「あ?、もしもし。私。」
有田からの電話だ。
「あ、アリス。どうしたの。」
「ううん、鷲尾さんの声聴きたくて。」
「そっか。あ、今会社なんだよ。」
「そうですか。」
「また、電話するから。」
「電話下さいね。」
ちょうど職場から離れたり、トイレに寄ったりザワザワしている中で、誰も鷲尾が電話しているのに気づかなかったようだ。
「次の代休はちゃんと休もうや。」
同僚は鷲尾がボーリングに行った日さえも、仕事をしていた。今まで代休と言ってもタイムカードを通さないだけで、仕事はしていた。
「そうだな。たまには本当の代休取ろう。」
次の水曜は二人ともきちんと休むことにした。もちろん、仕事が順調に進んだらという条件つきである。
 いつものように夜遅くまで仕事をし、家に帰ると有田との電話。しかし、月曜は休日出勤じゃないから、昼から行くなんてことはできない。名残惜しいが、一時間ぐらいで切って寝た。
 人間、動機付けが大事である。有田と遊ぶぞ、水曜は代休取ってやる。そう思えばこそ、月曜、火曜と、仕事は順調に進んだ。まあ、仕事漬けの数ヶ月の中、有田という女性と知り合って心の中にオアシスを見つけたのかも知れないが。
 水曜日、どうやら代休を取ることができた。鷲尾は朝から有田に電話する。
「もしもし、アリス。」
「あ、お早う。早いわね。」
「今日、代休取れたんだよ。」
「え、本当?」
「これから会わない?」
「えへ、うれしい。」
鷲尾は車を走らせ、有田の家に向かった。この辺りだろう、という所で、再び電話。
「もしもし。」
「あ、今どこにいます?」
「ええと、中華料理屋の前だ。」
「じゃあ、そこいて。すぐ行くから。」
有田はリュックを背負ってすぐにやって来た。
「お早う、アリス。」
「お早う、鷲尾さん。」
「ドライブ行こう。」
「へへ。行きましょ。」
 山手から海岸線を西に走って、唐木峠のある僧坊半島へ。潮の匂い、キラキラ光る水面、ただひたすら僧坊半島を南下する。昼食は有田の作ったサンドイッチ。美味しい。どこ行こうか、よし、バイオランドだ。坂道を右折する。
「あれ、車が変だぞ。」
突然、車のエンジンが停まった。
「あ、やべえ。ガソリンないわ。」
「もう、鷲尾さん、どうするのよ。」
うまい具合にそこはスタンドの前。ところが人影がない。いくら田舎だって、昼過ぎに店を閉めるか。その隣のスーパーから近くのスタンドに電話して、ガソリンを持ってきてもらった。
 ガソリンを入れれば快調。とりあえずバイオランド、そして安室山へ。もう夕方なので、帰ることにした。
「鷲尾さん、夕飯どうします?」
「そうだね、どこで食べる?」
「そうだ、私作ってあげる。」
「本当?」
スーパーが開いている時間に、家に帰らなきゃ。鷲尾は車を急がせた。
 ようやく鷲尾の家の近くのスーパーに着く。
「あ、まだ開いてる。早く早く。」
有田は鷲尾の手を引いて、スーパーの中を走り回る。走ったかと思うと急に止まり、九十度の方向に急旋回。その動きは、まるでUFOだ。
「もう終わりだよ。」
「大丈夫。お客がいる間は、開いてるよ。」
しかし、レジはとっくに閉まっている模様。それどころか、電気さえ消えてきたぞ。
「あ?、肉、肉。」
肉売場、陳列台のシャッターが降りてるぞ。
「ほら、横から手を入れて取りなさいよ。」
片づけをしている店員が、
「何かお探しですか。」
「あ、牛肉の、和牛のすき焼きの肉を。」
「これですね。」
「片栗粉は。」
「あちらの列の…。」
「鷲尾さん、行くよ。」
その後も色々と品物を物色。閉まっているレジを無理矢理開けさせて、買い物は終了。
「あ、もうシャッター閉まってる。」
「どこから出るの?」
巡回の警備員に非常口から外に出してもらった。
「一体、何作るの?」
「すいとん。」

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