不思議の国の有田
江戸仕草


第10回 圏外クン

 肋骨を折り、星野に食事を作ってもらいながら自宅療養していた鷲尾。そろそろ会社にも行けるようになり、今日は星野と一緒にドライブ。
「後でちょっと驚かすよ。」
「ええっ、何ですか。」
「そのうち分かるから。」
そう言いながら、車は普通に走っていく。急ブレーキをかけるでもなければ、お化けトンネルに向かう様子もない。星野も、初めのうちは何を驚かされるのかとドキドキしていたが、何事もないので、驚かすという言葉を段々と忘れていく。
 一時間ぐらい走ってから、そろそろ戻ろうかと家路につく。やがて、いつもの高速のインター近くに差し掛かる。普段なら直進する信号を、何気なく左折する鷲尾。信号から五十メートル程走ると、その辺りからラブホテル街が始まる。
「えっ、ちょっと、鷲尾さん。」
突然のことに、星野は驚く。
「鷲尾さん、だめですよ。」
「何で。」
「だって、鷲尾さん、あばらも折れてるし。」
「うん、折れてるよ。」
「だから、だめです。」
「そうかい。」
「それに…。」
「それに、何だい?」
そうこうするうちに、車はラブホテル街を通り抜ける。結局、何事もなかった。
「さっき、驚かすって言ったろ。」
「言ってましたけど。」
そう言いながら、星野はまだドキドキしている。鷲尾は話を続ける。
「でも、俺、あばら折れてるし。」
「そう、全然治らなくなっちゃうよ。」
「それに、会社の関係の人だし。」
「ホント、びっくりしました。」
あばらが折れてなければ何かが起こったのかも知れないが、それは分からない。
 そして、事件が始まったのは、そんな頃だった。鷲尾が会社にいると、携帯がブルッと震える。お、電話だ。留守電か。番号表示を見ると、自宅の留守電からの転送だった。
『メッセージが一件あります。ガチャ、ツーツーツー。火曜日、午後三時四十分です。』
ガチャ切りか。間違い電話か?
 家に帰って、留守電の番号表示を調べてみると、公衆電話からだった。誰だよ、番号通知しなきゃ、誰からか分かんねえじゃん。
 次の日も同じ頃に留守電の転送がある。またもや無言電話。家に帰って調べると、こいつも公衆電話からだ。毎日毎日怪しい電話は続いていた。
 鷲尾の携帯には、星野が会っている時にも電話がかかってくる。
「あっ、電話だ。」
「また、アリスちゃんじゃないの。」
また留守電の転送か、参ったなあ。そう思いながら番号表示を見ると、今度は違った。
「違う、友達だ。」
急いで電話に出る。
「もしもし、鷲尾です。」
『ああ、高下です。今、いいっすか。』
「ちょっとなら、いいですよ。」
『あのキチガイ女、どうなりました。』
「何か、無言電話が怪しいんだけど。」
『無言、かかってくるの?』
「詳しい話はまた今度しますから。」
電話を終わらせて
「高下さんだったよ。」
「そっかー、よかった。」
 それからも、怪しい電話攻撃は続いた。そんなある日、会社を休んだ鷲尾はあばら骨の治り具合を診てもらいに病院へ行く。病院から帰ってしばらくすると、電話のベルが鳴る。時刻はいつもの三時半、怪しい電話だ。
「はい、鷲尾です。」
すかさず受話器を取る。電話の向こうからは、えっというつぶやき声。電話はすぐに切れた。
 学校が終わった後、帰りがけに公衆電話から有田がかけているのではと推測していたが、どうやら当たりらしい。バックに電車の音が聞こえたし、駅のアナウンスらしき声も聞こえていた。
 怪しい電話、やっぱりアリスちゃんみたいだよ。鷲尾は星野に一部始終を伝える。
「二人の間を邪魔してるね。」
「人の恋路を邪魔する奴は豚に食われて死んじまえだ。」
「何それ、豚に食われてって。」
「違ったっけ。」
「自分がどういう立場にいると思ってんだろ。」
「まだ、彼女だと思ってるんじゃないですか。」
「参ったなあ、こりゃ。」
有田からの電話を何とかしなければ、星野との関係もパーだ。あのキチガイ女、何考えてるんだ。と言っても、相手はキチガイ。まだ宇宙人を理解する方が簡単じゃないか。
 なるほど、鷲尾がボソッと一言。何が?
「圏外クンか。」
「圏外クン?」
圏外クンってのは携帯電話の邪魔をする機械だ。圏外クンはコンサートホールとか携帯電話を使っちゃいけない所で、妨害電波を出して携帯電話を使えなくしてしまう。すると、携帯電話に圏外の表示が出て、使えないってことが分かる訳だ。妨害電波ならぬ、妨害電話か、原始的だな。そんなことしたって、携帯じゃないんだから圏外になんかならないぞ。そうはイカの塩辛。オヤジギャグを飛ばしている鷲尾であった。
「あのう、一つ訊いていいですか。」
「いいけど、何?」
「妨害電波って、何で起こるんですか。」
星野が素朴な疑問を口にする。
「そりゃ、本物よりも強い電波を出すから。」
無線関係の仕事をしている鷲尾は簡単に答える。
「やっぱりそうか。そうですよね。」
星野は納得した様子。
「ということは、ああ、なるほどね。」
鷲尾も何かに気づいたようだ。

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