不思議の国の有田
江戸仕草


第9回 あばら骨

 ピピピピピ。目覚ましが鳴ったのを止めて、再び眠りに就く。しばらくして気づく。
「あっ、やべえ。」
急いで飛び起き、身支度を始める。シャワーを浴び、髪を整え、ヒゲを剃る。ネクタイは、まあいいか。車じゃ間に合わないな、バイクだ。鷲尾はバイクを飛ばして駅へ向かった。
 駅の周辺は自転車、バイクの放置禁止区域となっている。バイク置き場まで行ってると間に合わないな。バイクを歩道の端に停めると、近くの喫茶店へと急ぐ。
「お早うございます。遅れて済みません。」
「お早う、鷲尾君。」
労働組合の副委員長が答える。
「まあ、座ってよ。」
鷲尾は席に着く。副委員長の隣に座っているのが、南山さんの奥さんの妹さんだな。
「じゃあ紹介しよう。こちら、南山君の奥さんの妹さん。星野さん。」
「こちらが鷲尾君。」
「初めまして、鷲尾です。」
「初めまして、星野です。」
二人を引き合わせたところで、
「じゃあ、後は二人でごゆっくり。」
副委員長は帰っていった。
「星野さん、ひょっとして明神高校ですか?」
「ええ、そうですけど。」
「うちの妹も明神高校なんですよ。」
「妹さん、おいくつですか?」
「五つ下だから、星野さんの二つ下かな。」
「鷲尾さん、ですよね。」
「演劇部にいたんだけど。」
「ええっ、演劇部の鷲尾さんですか?」
「星野さん、演劇部?」
「そうなんですよ。」
鷲尾の妹と同じ高校で、しかも演劇部。お姉さんは社内結婚だという。会社の話や高校の話をざっとする。気付くと、かなり長い時間が経っていた。
 この後のご予定は。友達と会うことになってるんですけど。それじゃ、また会えない。ええ、いいですよ。じゃあまた。二人は次の約束をして別れる。
 喫茶店を出てバイクを置いた所へ行くと、バイクは少し違った場所へ移動されていた。やばいやばい、持っていかれるところだったよ。
 次の約束の日は中央公園でデート。雨が降ったりやんだりのあいにくの天気の中、日本庭園、動物園と公園を散策する。
「美術館、行きます?」
中央公園の隣は美術館なので、鷲尾は訊いてみた。
「美術館なんか、よく行くんですか?」
「いや、全然行かないけど。」
「びっくりした。そういう所苦手だから。」
それは鷲尾も変わらなかった。
 次の休みはホテルレストランショーという展示会、その次の休みはダムの方へドライブと、鷲尾と星野は度々会うようになっていった。しかし、有田と違って今度は会社関係の人だ。あまり変なことは出来ないぞ。鷲尾は慎重にしなければと思っていた。
 ある日、星野と鷲尾が一緒に鷲尾の家に入って来ると、電話が鳴って留守番電話が応答を始めたところだった。
「もしもし〜、私。」
何と、葬り去ったと思っていた有田からだ。
「もしもし。」
鷲尾は急いで受話器を取る。
「ちょっと、迷惑なんだよ。」
「何が迷惑なの。」
「今、つきあってる人がいるんだよ。」
「私とはつきあってないって言うの?」
「とにかく、もう電話しないでね。」
鷲尾は電話を叩き切る。
「誰ですか?」
「前につきあってた人。」
「そうなんですか。」
「組合のボーリング大会で知り合ったんだけど。」
星野の動きが止まった。うつむいて、目に涙を浮かべている。
「星野さん。」
星野は黙ったまま。
「星野さん、泣かないで。」
「だって。」
鷲尾は星野に近づき、肩に手をかける。
「何するのよ。」
鷲尾を振り払う星野。その手が鷲尾に当たった。
「痛てー。」
鷲尾は思わず叫び、うずくまった。
「どうしたの?」
「痛てて。実は…。」
 前の晩のこと、鷲尾は星野と会えることでうれしくてしょうがない。夜中、トイレから部屋に戻る時、足取りも軽くスキップスキップだ。すると、鷲尾の足は次の瞬間、一メートル先にあった。フローリングの床に敷いていたマットが、滑ってしまったのだ。バナナに足を滑らしたようなものだが、自宅でスキップをしてコケるなんて、間抜けな鷲尾。それだけならよかった。コケた星野の胸の下には掃除機があった。掃除機の角が鷲尾の胸に激突。息もできないでその場にうずくまる。何だって部屋の中に掃除機が転がっているのか。星野が家に来るかもしれないからと掃除機をかけ、それを出しっぱなしにしていた訳。一晩中息も怪しいまま過ごし、次の日病院で診てもらうと、なんと肋骨が折れていた。
「嘘、面白い。」
涙を浮かべていた星野も、鷲尾の間抜けな話を聞いて、思わず笑い出していた。
「何で、今日、病院行ったって黙ってたの?」
「だって、そう言ったら心配するだろ。」
「そうかなあ。そう言ったら会ってもらえないと思ったんでしょ。」
「実はそう。」
「鷲尾さん、子供だな。」
「まあね、スキップスキップだもん。」
それからしばらく鷲尾は自宅療養。星野が食事を作りに来てくれることになった。怪我の功名か。

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