サービスエリアでアイスを食べているうちに、煙はひとまず収まった。
「大丈夫かなあ。」
「分かんないけど、大丈夫じゃない。」
「人の車だと思って、無責任なこと言って。」
納得のいかない様子ながらも、有田はそのまま走り続けた。さすがに、スピードは落としたが。
ゆっくり走ったので、鷲尾の家に戻った時は、日曜の昼近くだった。
「じゃあアリス、会社行くから。」
「私、眠いから、少し寝てる。」
「そう。じゃ、帰る時、鍵締めてってね。」
鷲尾は有田に鍵を渡し、会社へ行った。
月曜日、鷲尾が家に帰ってくると、有田が料理を作っていた。あ、鍵渡してたから家に入ってるんだな。でも、今度は何作ってるんだ? あ、カレーだ。すいとんでなくて、ほっとする鷲尾だった。
食事を終え、二人は鷲尾の部屋へ。柱には神社のお札が貼ってある。
「何これ!」有田が叫ぶ。
「お札だよ、神宮大麻。」
しばし間があってから、有田が
「何か、気分悪い。」
女の娘がラブホテルに誘うときによく使うセリフだ。エッチしようってことか。
「じゃ、ちょっと休むかい。」
しょうがないなと、鷲尾は布団を敷く。有田は布団に潜り込む。
「アリス、こういうことしたいんだろ。」
鷲尾は有田の服を脱がし始める。上着を剥ぎ取り、ブラジャーに手をかけた途端、有田が騒ぐ。
「あ、ちょっと待って!」
「え、何?」
有田は布団から抜け出すと、台所へ行く。
「ねえ、これ、どっちが塩だっけ?」
「赤いのが砂糖で、青いのが塩だよ。」
「分かった。」
これからという時に、何を始めるのだろうか。
「祓い給え清め給え…。」
有田はブツブツと呪文のようなものを唱える。
「おい、アリス、どうしたんだよ。」
有田は台所から塩の入っているケースを持ってくると、スプーンで塩をまき始めた。
「アリス、何するんだよ。」
有田は鷲尾の部屋に塩をまいてしまうと、今度は台所、洗面所、玄関と家中を塩だらけにする。塩のケースは空っぽになってしまった。
「全部終わった。」
「何が全部終わっただよ。」
有田は服にかかった塩を払い落とし、サクサクと帰り支度を始める。
「それじゃ、鷲尾さん、お休みなさい。」
呆気にとられる鷲尾をよそに、有田は帰っていった。おいおい、これじゃ寝れないぜ。鷲尾は真夜中に大掃除をする羽目になってしまった。
そして火曜日、鷲尾が家に帰ると玄関の表に塩が盛ってある。怪しいなと思いつつ、鍵を回してドアを開く。家の中からはツーンと線香の臭い。何やら呪文のような声も聞こえてくる。おいおい、何のまじないだよ。黒魔術か超魔術か知らないけど、勘弁してくれよ。
気味悪くなった鷲尾は、ドアを閉める。
「鷲尾さん、帰ったの?」
ヤバい、有田に気付かれた。急いでエレベータへ向かい、ボタンを押す。エレベーターは来ないのに有田の声が近づいてくる。ええい、階段だ。鷲尾は階段を走って降りていった。
鷲尾が階段を下りているうちに、有田はエレベーターで下まで降りてしまったようだ。一階で待ってるんじゃないだろうな。階段から一階へ下り、エレベータの前を覗いてみる。ああ、よかった。有田はいないぞ。
建物から出て駐車場へ向かおうとした途端、鷲尾の体は止まってしまった。鷲尾の車の前に誰かいる。もちろん有田だ。ナンダヨ、車でも寝れない。鷲尾はこっそりと後ずさりし、別の出口から近所の公園まで猛ダッシュ。そして公園のベンチで一夜を過ごすのであった。
水曜日の明け方、駐車場に戻ってみる。有田の姿はない。有田の車も見あたらないし、どうやら帰ったか。家に戻って恐る恐るドアを開けるが、中はシーンとしている。家の中には塩はまかれていなかった。よかった、何事もなくて。
水曜の夜、鷲尾が家に帰った時には有田はいなかった。今夜はゆっくり眠れるかなと思ったのもつかの間、有田はやって来た。
「アリス、何で塩なんかまくのさ?」
「だって、オバケがいたからお清め。」
「はあ?」
「そんな、お札なんか貼っちゃダメ。」
「何だい、それどういうこと?」
「私、ベニスの証人なの。」
有田は宗教に入ってるのだった。
「日本は八百万の神に決まってるじゃん。」
「そんなの信じてると、ハルマゲドンが来たって知らないよ。」
「あのさあ…」
「王国を創るんだから。」
「何言ってんだよ、」
鷲尾は別れ話を切り出そうと思うのだが、有田は宗教の教えを話すばかりでかみ合わない。
結局、金曜日まで三日間ケンカし通しだった。
土曜日の朝、鷲尾が寝ているとドアのベルが鳴る。有田か? でもあいつは俺より寝坊だし。
「聖書について、一緒に勉強しませんか。」
子供を連れた小汚い女性。ベニスの証人だ。
「あのう、ベニスの証人ですか?」
「はい。」
「ベニスの証人って、塩をまくんですか?」
「いいえ、そんなことないです。」
「ええっ、でも、まいた人がいるんですけど。」
「本当ですか?」
「ええ。有田さんって。」
有田の名を口にした途端、女性の表情が変わった。
「あ、有田さんですか。それでは結構です。」
ベニスの証人は逃げるように帰っていった。