不思議の国の有田
江戸仕草


第7回 モーレツ・ア太郎

 悪徳弁護士に頼んで交通違反をもみ消してもらうと言ったきり、有田からの連絡は半年近くもない。このまま自然消滅して新年を迎えるのか。
 鷲尾の抱えていた仕事は、郵便無線のソフトウェア。年賀状の時期にかかる前に仕事はどうにか一段落していた。ああ、年賀状書かなきゃいけないんだなあ。
 夜の九時と言えば、以前だったら夜はこれからという時間。風呂から上がってくつろいでいると、ガチャガチャと扉の開く音。
「今晩は。」有田だ。
「あ、アリス。」
「今日はちょっとお願いがあるの。」
「何、急に。」
「とにかく、時間がないから早く。」
有田がカバンから取り出したのは何かのコピーのようだ。
「鷲尾さん、こういうの得意でしょ。」
見ると、高校入試程度の数学の問題だった。
「これ、どうしたの?」
「いいから、この問題やって。」
訳も分からず、問題を解く。十五分程で四問解き終えた。
「終わったよ。」
「ねえ、鷲尾さん、解き方教えて。」
「いいけど、何で?」
「明日、入試なの。」
「高校入試?」
「違うけど、それは後で話すから、早く。」
図形の面積を求める問題、確率の問題、連立方程式。問題の解き方を教えるが、有田はなかなか理解しない。
「もっと分かりやすく教えてよ。」
「うるさいなあ。勝手に自分でやりなよ。」
「あ、ごめんなさい。ちゃんとやります。」
何の入試か知らないけど、それを一夜漬けって、結構なめてるぞ。結局、明け方になっても確率の問題が理解できない。
「ねえ、答、この紙に書いて。」
有田は小さな紙を鷲尾に渡す。
「カンニングペーパーかよ。」
「どんな手段だって、合格すれば勝ちよ。」
交通違反をもみ消しにするような奴のセリフだ。カンニングして合格したって、その後がどうなることやら。鷲尾はやめとけよと言いながらも、小さい字で答を書いた。
「どうもありがとう。」有田は帰っていった。
 それから数日後、有田は再び現れた。
「試験、どうだった?」
「ドライブでもしながら教えてあげる。」
二人は子跳山の方へ向かって行く。
「アリス、一体、何の試験受けたんだよ?」
「介護福祉士の学校。」
「また、何で?」
「『最後の恋』なの。」
常盤貴子とスマップの中井君が出てたドラマ、それがどうしたのか。介護福祉士になって、病院に勤務。お医者さんを探して玉の輿?そんなんで介護福祉士になるのかよ。
「アリス、本気で介護福祉士になるの?」
「受かったらね。」
「受かりそう?」
「あのね、カンニングできなかったの。」
一番前の席だったから、カンニングどころじゃない。午前中が筆記試験で、午後が面接。面接も替え玉しようと思ったんだけど、無理だよね。
「替え玉って、なべやかんじゃないんだから。」
でも、一晩中受験勉強につきあったのだ。ここはぜひとも合格してもらわなければ。学校に入れば、フラフラと夜中に来ることもなくなるだろうし。
「合格のお祝いしてくれる?」
「てことは、うまくいったの?」
「うん。前祝いして。」
競争率はかなり高かったけど、試験は割とできた。数学なんか全然できそうもないオヤジとかが他にもいたし、面接は上手くアピールできたから。
「そっか、おめでとう。」
「あのね、お祝いに欲しい物があるんだけど。」
「何だい?」
「結婚指輪。」
「はあ?」
「だから、結婚指輪、買って。」
この女、何訳の分からないことを言ってるんだ。結婚の前に婚約はどうなってるのか。鷲尾は開いた口がふさがらない。
「お祝いしてくれないの?」
「お祝いはいいけど、何でそんな物買わなきゃいけないのさ。」
「だって、私たち、恋人でしょ。」
「アリスは恋人と思ってるかもしれないけど、そんなことする義理ないよ。」
「なにそれ。」
「それより、前に渡した鍵、早く返してよ。」
「鷲尾さん、鍵を返してって…。」
「それから、もう、電話もしてこないでね。」
「鍵を返してとか、電話をしないでとか言ってるけど、そのためにどれだけのことをしたのよ。」
そして、しばらく沈黙。
「指輪がだめなら、他の物でいいから。」
「じゃあ買ってあげる。」
「ありがとう。」
「その代わり、鍵は返してもらうよ。」
「えっ。」
「それから、電話もしてこないでね。」
「そんなにして買ってもらっても嬉しくない。」
「おめでとう。お祝いだ。」
鷲尾は本当におめでとう、という顔。それに対し有田は段々と情けない表情になっていく。子跳山まで行って、明け方に二人は帰ってきた。
 次の日、鷲尾は郵政局へ出張。時間は午後からで、会社には行かないで直接行ってよい。
「午前中に買いに行ってから出張行けば。」
有田の車に乗って、郵政局のある官庁街へと進んだ。ところが、高速は渋滞中。いらだつ有田。
「何、こんなに渋滞してるのよ。」
「電車に、しとけばよかったんじゃない。」
「車じゃだめだって言うの!」

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