「山沢さん。」
大学のある駅で降りると、山沢を呼ぶ声がした。声の方を振り向くと、正司の友人の信濃がいた。
「あ、信濃君だね。今日は。」
「今日は。」
信濃は大学で行われるシンポジウムを聴きに来たのだという。
「ところで、象の鼻のこと、知ってる。」
大学まで向かう途中、山沢は信濃に訊いてみた。
「近頃、ミイラとか話題になってますけど。」
「川下君のホームページだけど。」
「あれですか…。」
信濃は何か知っているそぶり。
「何か知ってるの。」
「シンポジウムの後でよければ。」
「いいよ。いつ終わるの。」
「四時です。」
「それじゃ、四時に学食で。」
信濃はシンポジウム会場に入っていった。
ゼミの教授にでも会ってみるか。といっても、正司がどのゼミに入ってたのか。とりあえずは一休みだ。山沢は学食に入る。自動販売機のコーヒーを手に、テーブルに座る。隣のテーブルにはどこかのサークルの一団が陣取って何か相談している様子。
「ABの準備はできたか。」
「はい、大丈夫です。」
「それじゃ、行くか。」
隣のテーブルの一団は席を立ち、出口へと向かっていった。
ABって何だろう。気になる言葉である。信濃が学食に現れるまで、まだ時間がある。少しキャンパスでもぶらついてこよう。山沢も外へ出た。
「お待たせしました。」
約束の時間より早く、信濃は現れた。
「ところで、ABって知ってる。」
山沢は、先程のABという言葉を訊いてみた。
「ABですか…。」
信濃の顔色が変わった。
「信濃君、どうしたんだい。」
「山沢さん、そのABって。」
「さっき、学食にいた奴らが話してたんだ。」
「ちょっと、来て下さい。」
山沢は信濃に連れられて歩いていく。キャンパス内をかなり歩き、大学の外れにある建物に入る。
「ここからは静かにして下さい。」
「あ、分かった。」山沢は従う。
校舎の外側に付けられた円筒階段を上っていく。
「あそこを見て下さい。」
信濃の指さす方には、隣の校舎。建物の外には非常階段。その三階と四階の間の踊り場に、先程の一団がいた。何かに火を付けたようだ。煙が上がる。放火か。数秒すると火は消え、一団は階段を下りていった。
「じゃあ、行きましょう。」
信濃は山沢を連れて階段を下りると、駅の方へ向かった。
「何なんだい、あれ。」
「悪魔払いです。」
「ひょっとして、象の鼻?」
「ええ、悪魔払いの略でAB。」
象の鼻は正司の大学で悪魔払いをやっているのか。
「信濃君、何でそんなこと知ってるの。」
「自己啓発セミナーです。」
信濃は大学時代に、象の鼻と知らずにそのセミナーを受けてしまった。その後、ヤバいと思ってすぐに抜け出したものの、信濃は逆に悪魔とされてしまった。悪魔払いと称して、信濃の名前を書いた藁人形が校舎の片隅で燃やされていたのをたまたま発見。身の危険を感じたが、その儀式が済んで悪魔は無事払われたのか、その後は特に何事もなかったという。
「正司も受けてたのかなあ。」
「受けたみたいですね。」
「Y2Kとかも関係あるのかなあ。」
「たいやきくんの投稿ですか。」
「そう。」
「ありそうですよ。」
家に戻ると、篠原から留守電が入っていた。
「篠原です。竹崎の件で電話しました。」
早速篠原に電話する。
「電話ありがとう、山沢です。」
「山沢さん、ニュース見ましたか。」
「今、帰ったばかりだけど。」
「竹崎が捕まったんですよ。」
「え、何で。」
「覚醒剤か、何か、薬みたいです。」
「そうなんだ。」
「それと、伝言ダイヤルで凍死した女子大生。」
「あれね。あれ、家の近くだけど。」
「それにも関係してるみたいです。」
「へえ、本当に。」
「沢山の薬が押収されたって言ってました。」
「ひょっとして、家にもあるのか。」
「関係あるかも知れませんから、一応念のために電話しました。」
「篠原君、ありがとう。」
正司の机の上には、薬の瓶が二つ置いてあった。市販の風邪薬だと思うが、ひょっとしたら竹崎の薬と絡んでいるのか。警察の方で関連は調べてくれるだろうか。無理だな。人さらいを十年も野放しにするような奴らに何が期待できよう。
ずらっと並んだパイプ椅子に座る大勢の人々。
「ここに自分の意思で来たのではない人。」
何人かが手を挙げる。
「そういう方はお帰り下さい。」
何だ、バカにしてという態度で会場を出ていく男。
「恋人や配偶者がこのセミナーを受けて、どんなセミナーか探ってやろう、そう思ってきた人。」
そうさ、潜り込んでやるつもりだ。
「そういう方はお帰り下さい。」
帰るもんか、ここで何やってるのか、調べてやる。
クローバー電器の社長と相談し、象の鼻のセミナーに潜入することにしたのだ。身分を明かすのはまずいので、偽名と適当な住所を覚える。偽の名刺を作るのは、元探偵としては朝飯前。電話はプリペイド携帯。これで完璧だ。
つづく (C)二〇〇〇 星 期一